…もういいかい?
 (お侍 拍手お礼の四十一)

       〜 お侍様 小劇場より
 

秋の終わりから遅い春まで、
重たい根雪に埋まってしまうよな、厳しい冬を越す土地の古い家屋は。
民家でも農家でも武家屋敷でも、その作りが荘厳で頑丈で。
奥まった所に入り込むと、昼間でも薄暗く、
手元暗がり足元暗がりなのが、
奉公に来たばかりの幼い女中さんや小僧さんなぞには、
怖くて怖くて、おっかなくってのそれで。

 「色んなお化けや物怪
(もののけ)のお話が、
  ここいらで たんと生まれたのかも知れませんね。」

いかにも感慨深げにそんなお言いようをなさったは。
そのご当地で育っていながら、
だってのに あんまり民話やおとぎ話を知らなかった久蔵へ、
筆描きだろか素朴な挿絵がコミカルな、分厚い民話集をお膝に広げ、
柔らかいお声で読んでくれてたお兄さん。
上げた簾の向こうには、濡れ縁からお庭の緑が見渡せる。
今日は朝から、この時期にはめずらしくも静かな雨が、
降ってはやみ、やんでは降りを繰り返しており。
これではお外で遊べませんねと、こうして大人しくして過ごしている次第。
青々とした畳の敷き詰められた、静かな広間の中ほどで、
ただ並んで座っていたものが。
少しずつのおずおずと、
遠慮がちに…それと判らないようにと子供なりに装って、
そおっと凭れかかって来る小さな身を。
こちらさんもまた…素知らぬお顔を通しつつ、
そんな算段ごと 何てかあいらしいことかと受け止めて下さっての、
仲のいいこと、微笑ましくて。

 「さぁて。次は何して遊びましょうか。」

そろそろご本を読むのも飽いたかなと、
青玻璃の眸を細め、にっこり微笑って訊いて下さるは。
久蔵坊やのふわふかな金の綿毛を、
愛おしげに撫でて下さるきれいな白い手も、
伸びやかで、なのに囁くように低められると急に甘くなるお声も。
とっても背が高いのに、そうは見えない優しげな姿や仕草も、
うなじのところで束ねておいでの、さらさらの金の髪も。
お花みたいな、杏か桃みたいな、甘いいい匂いがするところも、
でも実は、槍を振ったらセンセーでも敵わないほどお強いところも、
どこも全部、大好きなお兄さん。
いつもは東京にいる、七郎次という人で、

 「…。/////////」
 「何でも構いませんよ? 何をしましょう?」

それが盆や暮れ、新年のご挨拶にという訪のいであったなら、
彼が仕える御主を他の大人たちに任せるまでは 彼自身も忙しく、
坊やへと構ってくれるまで、しばし待たされてしまうこともあるのだが。
何てことのない時期の、連休なんぞに彼ひとりで来てくれた時は、
そのまるまる全部を久蔵にだけ構けてくれるのが、わくわくと嬉しくて。

 「…。」

でもでも、あのね?
広いこのお屋敷に、今は坊やしか小さい子供は居ないから。
お世話係の乳母さんはいるけれど、
結構なお年なので一緒になって駆け回ってまではしてくれない。
剣術の師範は刀を教えて下さる先生だし、
何より、久蔵自身が遊びというものをあまり知らないので。
寡黙だからというよりも、
何と答えればいいのやらという案じのお顔をして見せると、

 「じゃあ、かくれんぼしましょうか?」

お兄さんのほうから言い出してくれる。
あ、でも、お屋敷の中、あんまりガサゴソすると叱られちゃいますかね?
嫌なら そのせいにして辞めてもいいと。
そんな遊びを知らないとは、言わなくても済むように、
先回りをしてくれる優しい人。

 「〜。(否)」

幼稚園の頃にやったことがあるから知っている。
じゃんけんぽんの手を前に出せば、じゃあと応じて下さって。
いっせのせ、あ…。

 「あ、最初は久蔵殿が探すほうですよ。」
 「…。(頷)」

じゃあ えと、お家の中なので 50まで、数えて下さいましね?
渡殿を越えての奥の間や、道場やお庭に出るのはダメ。
押し入れに入るのも無し。
それを守って隠れますから、出来れば早く見つけて下さいましね?

 「でないと…。」
 「?」

お膝に手をついての少し身を屈めていたお兄さん、
声を殊更ひそめて囁いたのが、

 「実は私、お化けが怖いんです。だから、早く見つけて下さいましね?」

大仰にも ぶるるっと肩を震わせて見せたのへ、
うんと深々、いかにも真剣に頷いた坊や。
それへと微笑ましげに笑い返すと、
実はお兄さんの側からもお気に入りな金の綿毛をひと撫でし、
さぁさ数えて下さいましと促して。
くるりと壁のほうを向いて“ひと〜つ、ふた〜つ…”と数え始めると、
そこからそぉっと後ずさり。

 「…。」

本当は、あのね?
足裏が畳を擦る音どころか、自分の気配さえ消しちゃえるくらい、
本格的な武道もしっかり修めておいでのお兄さん。
でもでも、遊びにそこまで持ち出すのは、それこそ大人げないと思ったのと、

 “後出ししてでも こちらが鬼になれば良かったな。”

後ろを向いた小さな背中、
こんな広々としたところへ 独りぼっちにするのは忍びなかったか。
襖を出たすぐのところから動かずに、
しばらくほど、愛おしげに見守り続けて。
生真面目に数える声、50の半分が過ぎたところで、やっとのこと、
隠れる場所を探すため、隣の間へと歩み去る。

 「…五十。」

数え終わって、顔を上げれば。
当たり前だが誰もいなくて。

 『実は私、お化けが怖いんです。だから、早く見つけて下さいましね?』

七郎次は久蔵を わざとらしい形では子供扱いしない。
けれど、そういえば…いつだったか、
何かに怯えて御主である勘兵衛のお袖をぎゅうと掴んでいたの、見たことがある。
あれってもしかして?

 「もういいか?」
 「…もういいよ。」

ああ、遠い声がしたから、お化けは まだ出てはないらしいな。
このお部屋にはいないみたいだからと、
濡れ縁に沿って連なる部屋々々を見てゆくことにして。
とてとてと板張りの廻り回廊を進むが、どのお部屋にも人影はなく。
家人らはそれぞれの家事に勤しんでいるので、ここに人の気がないのは判るが、

 「…しち?」

隠れんぼなのだから、呼んで出て来ては意味がない。
そのくらいは判っていたけれど、

 「…。」

雨はもう上がっているんだのに、蒸し蒸しするのは収まらず。
空気が随分とびちょびちょしていて、
首条とかうなじとか、じとじとと何かがまとわりついて来てるほど。

 「…。」

巻き上げられた簾の向こう、夏草や土が濡れての放つ匂いがつんとして。
風もないまま、湿気の多い空気がむっちりと満ちているばかり。
まだ昼下がりに入ったばかりの時間帯な筈だのに、
鈍色の空は夕方みたいだし、
瓦を乗っけた塀の漆喰の白までが妙に沈んだ色に見えて。

 「シチ…。」

どのお部屋もがらんとしていて、
奥まった辺りが暗いのをじっと透かし見るけれど、
人の影はどこにも無いみたい。

 『実は私、お化けが怖いんです。だから、早く見つけて下さいましね?』

もしかして。
槍を使えば怖い者なしのシチだけど、
何かお化けが出て来て、そのまま攫われてしまったのではないかしら?
島田みたいな頼もしい大人でないと太刀打ち出来ないような何か。
ああ、どうしよう。
自分はまだまだ子供だから、それで、
あの時、何が出たのかさえ判らなかったんだ。

 「シチ…。」

どっかへ攫われてったなんてイヤ。
大好きな人だのに、居なくなっちゃうなんてイヤ。

 「シチっ!」

お部屋の一つへ飛び込んで、
そのまんま、向こうのお廊下へ出る襖を引き開ける。
でもそこも薄暗いばかりで誰もいない。

 「…っ。」

やだやだ、いやだ、居なくなっちゃうなんてイヤっ。
もう逢えないなんてイヤっ!
お顔が見たい、声が聞きたい、ギュッとしてほしい、
シチ…っ、





◇◇◇       


 「…………う殿? どしました?」

どこからかの声がして、まぶたの裏が不意に赤く染まったのは、
辺りの明るさに気がついたから。
眩しいというほどじゃあなかったが、
それでもあの、木曽の屋敷の奥座敷の暗さの比ではなく。
やっぱり蒸し暑い中、
重くてなかなか上がらぬまぶたをこじ開ければ。
視線の先、明るい四角の縁に誰かが見える。
うなじに束ねられたお尻尾みたいな髪が、
なだらかなラインの肩に添っており。

 「…。」

だんだんと焦点が合って来て、
そこにいる人がまとう色彩がはっきりして来る。
背景になってる庭の緑に映える白は、
着ているシャツとそれから、ご本人の頬の色。
しゃんと背条を立てた座り方をしている彼の、
そのお膝回りには、庭先から取り込んだ洗濯物が広げられ、
てきぱきと手慣れた様子で畳まれているところ。

 「…。」

ああそうだ。今のは木曽にいたころの夢だ。
後にも先にも一度しかしなかった隠れんぼ。
泣きそうな声で“シチ”と呼んだので、
何事かと大きに慌ててお廊下の向こうの居室から出て来た七郎次は、

 『これでは隠れんぼになりませぬ。』

くすすと苦笑いつつも、
小さな坊やがしゃにむに抱きついたまま離れないのに閉口しもせで、
久蔵が気が済むまでのずっと、そのままでいてくれたのだっけ。
いつの間にだか うとうとと、
居間のソファーに横になっての、うたた寝していたらしき次男坊。
そのお目覚めに気がつくと、
お仕事終えたおっ母様、さてと立ち上がっての歩みを運んで下さって、

 「よくお眠りでしたね。」

仔獅子のようにのっそりと、そのしなやかな上体を持ち上げる久蔵の、
まだ眠たそうなお顔を双手でするんと包んでしまうと。
おでことおでこをこつんこと合わせ、

 「よっぽど起こそうかと思ったのですが。」

寝違えないかと案じたものの、あまりにも気持ち良さそうだったから、
そのまま見守ることにしたのだそうで。
重そうで上がり切らないまぶたの様子に、くすすとやっぱり小さく微笑い、

 「こんな時間に寝てしまうと、晩に眠れなくなりますよ?」
 「〜。(う"〜)」

だって今宵はほら、勘兵衛様が出先にそのままお泊まりだから。
アタシと一緒に寝て下さるって約したの、お忘れですかと囁くお人。
言葉づらだけの冗談ごとなんかじゃあないから、あのね?

 「…っ。」

はっと我に返ったその途端、眠そうだったまぶたも上がる。

  ―― だって、そろそろアレが出る。

お化けなんか平気なシチが、でももっと怖がるもの。
勘兵衛にしがみついてまで怖がってたもの。

 「守って下さると、勘兵衛様とも約してらしたでしょう?」
 「…っ。(頷っ!)」

やんわり微笑う綺麗なお顔へ、何度も何度も頷いて。
いつの間にやらソファーの上へ、正座までしていた次男坊。
真っ赤な双眸 真摯に張って、
大好きなお母様への、絶対に守るからねとの決意も堅く、
あまりに真面目なお顔をするものだから。

 “なんてお顔をしますかねぇ…。////////”

たかが小さき虫をいい大人が怖がるなんて、そこから既に問題なこと。
だってのに、馬鹿にもしないでの…ああもう、なんてかわいいお人なんだろかと。
護ってくださることよりも、それへと絆(ほだ)されてしまうというもの。
庭先ではフヨウアオイの若葉が微笑むように揺れており、


  勘兵衛様、暢気に
(?)出張している場合じゃありませんぞ?(笑)




  〜Fine〜  08.7.09.


  *何だか妙なお話になっちゃいましたが、
   七月九日、79の日ということでvv
(苦笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

**

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